2020年はウィリアム・アダムズ(三浦按針)の没後400年。
大航海時代に海外に開かれていた唯一の港「平戸」はオランダ商館や
英国商館があり、航海士、商人、宣教師、奴隷など数多の外国人と各地の日本人が
交錯したポイントです。
ウィリアム・アダムスは徳川家康の外交顧問で三浦半島に旗本として住んでいたわけですが
商館のある平戸には幕府と商館との折衝でよく滞在していました。念願のイギリス帰国が
許されるも病気で平戸で死んだとされています。
そのお墓がどこなのか?この度ウィリアム・アダムス協会の英国人の寄付により墓地の
発掘調査が行われました。
江戸時代の埋葬方法は西洋人は寝棺式、日本人は座棺式だったそう。
今日は発掘した場所の公開があり、見せていただくと、身長180cmの人が悠に入る寝棺式の墓地と
その隣に座棺式の墓地がありました。
これは長方形の寝棺式の発掘現場です。ちょっと写真切れてますが右側が頭で東向きです。
座棺式の方は完全に埋め戻されていて中を見ることはできず。
寝棺式で出てきた壺。中に骨が入っていました。昭和6年に一度発掘されたことがあり、
その時に骨をこの壺に入れて埋め戻したのではないかと。
手のひらに乗っているのが歯。他はぼろぼろ。
座棺式から出てきた茶碗。これは裏側に漢字が。多分中国のもの。銭や鉄釘も。
このお墓はウィリアム・アダムスの平戸妻か、その娘?のものじゃないかと。
きれいな女性の形でお骨が出てきたそうです。
この墓地は本当にウィリアム・アダムスの墓だったのか?
今後のDNA鑑定の結果が待ち望まれているところです。
平戸ってやっぱり楽しいよね。