平戸松浦家の始まりは平戸大橋を渡る手前の町、田平町の峰家が本家筋で攻防の末、田平を飲み込む形で今の平戸がある。まさに戦国時代の市町村合併だ。今日はその田平町の史跡をたどるツアーに参加した。
田平町は弥生時代の木製の鋤や鍬が多数発掘される広大な田原があり、支石墓も多く残っている。
古墳時代の前方後円墳も見ることができ、当時海岸線を舞台に村社会ができ、古墳に埋葬される程の人物がいたことがわかる。
その広大な田原を囲むように山があり、田原の反対側は海を臨む山上に里城址があった。石垣しか残っていないが当時を忍に足りるものである。
その他、禁教時代イタリアの宣教師が見せしめのために焼かれた焼罪公園、鉄川与助の田平教会、亜熱帯植物ビロウはここが北限、千年の大樹ハクモクレンはあと10日ほどで見頃を迎える。
3時間のツアーでは足りず、北九十九島が望める蛇焼?公園やザボン園などまだまだ見せ場を残し、帰路に着く。
父が田平に勤めていたので、里田原歴史民俗資料館がオープンした時は開館を喜ぶ父に連れられ一度訪れたことがあったことを思い出した。

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