これは嘉永元年(1848年)の平戸城下の図です。
当社がいまある所に「小松屋酒造」の名が。
これ以前の寛政4年(1792年)の図には同じ所に「富沢酒造」の名が。
小松屋酒造は富沢酒造を買収したのか?
「小松屋」という屋号は最近まで使われていた森酒造場の屋号です。
私が嫁いだ30年前にはまだ「小松屋」さんと地元の人に呼ばれたりしました。
昭和30年代に会社登記した時から屋号では呼ばなくなったのではないかと推測しています。
何が大発見かというと、当社の創業は明治28年。だけど、この地図によるとすでに
嘉永には当家の家系図の三代目の名前で酒造業を初めていたことになります。
たぶん、年齢から推し量ると天保時代には創業していたのでは。
どうして、ここが創業の起点にならなかったのか。
過去帳をめくってみると、
「明治28年に五社の株主が解散、そして、翌29年に新たに独立して再興した。」
と書かれています。明治時代になって一社で造るのではなく、
合資でやっていたのだろうと思われます。
元々は質屋で、分家して酒造業を始めたと聞いていたので、
明治29年の独立の年からはっきりと本家分家の枝分かれができたのでしょう。
もう一つここではっきりしたことは、
創業明治28年と言っていましたが、29年が正しいようで、
4代目勝手にサバ読んでいた模様。
この古地図を見て「創業を江戸まで遡って言おうよ!」と4代目意気込んでおりますが、
ダメダメはっきりした年代がわからないのにそんなこと言えません!
それより、サバ読んでいる一年を訂正して逆に創業年数は若返りますときつく申し上げました。
当時どんな酒造りをしていたのか、タイムマシンで見てみたいもんです。